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2021年大河ドラマ『青天を衝け』が始まったばかりですが、ひと足お先に2022年の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』の主人公となる北条義時生誕の地へひとり旅。

北条義時って?

鎌倉幕府2代目執権、
北条政子の弟で、源頼朝なき後、鎌倉幕府の実権を握った人だよ!

『鎌倉殿の13人』ってタイトルがよくわからないんだけど…

「鎌倉殿」は鎌倉幕府(の将軍)のこと。
「13人」は頼朝なき後に、13人の家来たちが合議制で
政治を進めようとしたというところからきているよ。

で、おもしろいの?

13人の中から義時が勝ち上がっていく話になると思うけど、
めちゃめちゃいろいろな事件が起こるから超おもしろいよ!
まあ、歴史のことはまた後日にするとして早速旅に出かけよう。
今回は北条義時生誕の地、静岡県伊豆の国市にお邪魔しました。
「蛭ヶ小島」

旅の始まりはこちら「蛭ヶ小島」です。
いろいろな呼び方があると思いますがこちらの記事では「蛭ヶ小島」で統一します。

平治の乱で平清盛に敗れた源為朝(頼朝パパ)は討ち取られてしまうんだけど、頼朝は清盛ママらの嘆願で命を救われました。
減刑となった頼朝は伊豆に流され、平家追討のため挙兵するまでの20年近くをこの地で過ごしたと言われています。
公園になっており駐車場も完備されています。
電車でお越しの場合は伊豆箱根鉄道駿豆線「韮山駅」から徒歩10分。
アップダウンもないのでお散歩感覚で歩けます。

寛政2年(1790)に建てられた「蛭島碑記」です。
源頼朝が天下支配を成し遂げた歴史的原点を後世に残すためのものだそうです。
なお詳しくは、


秋山富南の頌徳碑だと思われます。

秋山富南は「源頼朝が流されたのはこの地だ!」と言われた国学者の方だそうです。

蛭ヶ小島のシンボル「頼朝・政子像」。

2人の見つめる先には富士山があるようなのですが、この日は残念ながら雲の中でした。
ですが、2人が見ていた景色が目の前に広がっているかもしれないと思ったらドキドキします。

2022年に向けてのぼり旗が建てられていました。
最寄り駅の韮山駅には「大河ドラマ館」も建設予定だそうです。

ちなみに義時パパ・北条時政はこの付近の無名な豪族でした。
頼朝の監視役をしていたところ、娘の政子が頼朝と恋仲になりさあ大変!
運命を頼朝に託し鎌倉幕府初代執権まで上りつめていくのです、が…
ちょうどお昼の時間になりました。

公園内には「蛭ヶ島茶屋」という休憩施設があり、こちらで食事をとることができます。
無料休憩所なので飲食をしなくても入ることができます。

施設内は古めかしい感じはするもののとてもきれいです。
ちょっとした物販もありますし、周辺のパンフレットも置いてあります。
わたしは食事目的だったので入り口でスタッフさんに声をかけて着席しました。


この日は暑かったので冷たいそばがいいかな…
「おすすめはどちらですか?」と聞いたところ女性の店員さんが「椎茸そばがいいんじゃないかしら」とおっしゃったので、きっと温かいほうがおいしいかなと思ったのですが、冷たいおそばを頼みました(笑)

なかなかきれいな盛り付けです。味もそこそこおいしい!
写真では見えづらいと思いますが、左上に椎茸の煮物が入っています。
伊豆は椎茸の名産地。おいしい原木椎茸を安価で手に入れることができます。

居心地もよかったので、店員さんたちを談笑しながら少し長居させていただきました。

店内にあった写真ですが、富士山が見えるとこんな景色になるんですね。
「守山駐車場」(無料)を活用
お腹も十分満たされたので、史跡巡りに便利な「守山東駐車場」へ向かいます。

付近の観光目的であれば無料で駐車することができます。
9:00~17:00以外の時間帯は駐車できないようですのでご注意ください。(2020年10月時点)
大河ドラマが始まってにぎやかになったら多少変わりそうな気はしますが。

散策前に食べ物飲み物を調達しておいた方がいいかもしれません。
この先コンビニも自販機も見つけるのに苦労しますよ(本人談)
ここからは徒歩での散策となります。

情報では伊豆長岡駅にレンタサイクルがあるらしく、利用日の2日前までに予約すれば1日500円で借りられるみたいです。
地域的にもこれから自転車での観光を推進していきたいみたいなことをどなたかが言っていました。

地図を握りしめながら観光していたので折り目が見えにくくすみません。
右上の駐車場(青いP)から時計回りで歩いていきます。
だいたい2km30分くらいだと思います。道は狭いですが平たんです。
もちろん寺社の敷地内では少し歩くのでご考慮くださいね。

まずは「頼朝・政子語らいの路」へ。細い道が長々と続いています。
「願成就院」

1か所目は北条時政(義時パパ)が建立したといわれる「願成就院」から。
ちなみに右奥に見える鳥居は「守山八幡宮」です。のちほど参拝します。


鎌倉幕府初代執権にのぼりつめた北条時政が、頼朝の奥州平泉討伐の戦勝祈願のため建立したといわれています。
運慶の数少ない真作の一つである阿弥陀如来坐像などの仏像を安置。国宝に指定されています。
本堂と国宝「阿弥陀如来坐像」

かなり広い敷地ですがかつては現在の比ではなかったそうです。
大きな庭園や池があったことが発掘調査でわかったとのこと。

ちなみにのちほどお邪魔した別のお寺の方がおっしゃっていましたが、発掘調査をして遺構が発見されると史跡に指定されるので、寺として墓地を広げたいとか、駐車場を整備したいとかいうことができなくなるとのこと。なるほど。

右側にある小さな建物で拝観料500円をお支払いします。
中に入ると欧米系のお顔立ちをした方が流暢な日本語でお寺や仏像について解説してくださいました。

事前に知っていたのでビックリはしなかったのですが、
住職の娘さんと結婚なさって、スコットランドから来日されたそうです。
建物は新しいものなので特筆することはありませんが、国宝に指定されている仏像の数々がとにかく美しいです。
「これが運慶か」と思わずうなってしまうほど。阿弥陀如来坐像の優しい顔立ちにすっかり釘付けでした。

奈良の記事を書いていたときも思ったのですが、
わたしそこまで仏像が好きなわけでも、詳しいわけでもないんですよ実は。
本堂見学後、裏手にある宝物館も見学しました。
ともに撮影禁止ですので写真はありませんが、運慶作の仏像に収められていた木札を見ることができました。作者や製作などの経緯について書かれたものです。

お寺の敷地内では現代風の五百羅漢が設置されています。

五百羅漢とはお釈迦様が亡くなったあと集まった500名のお弟子さんたちをモデルにして作られたと言われています。
願成就院の五百羅漢は自分や大切な人の姿を地元の石工さん指導の下、自身で刻むことができるそうです!
「北条時政公の墓」
最後になってしまいましたが、「北條時政公・足利茶々丸公の墓」があるのも願成就院です。


あまり深い意味はないのですがお墓は遠巻きから撮影させてもらっています。
「願成就院」の御朱印

新型コロナウイルス感染症対策で現在は書置きのみ。
御朱印は「阿弥陀如来」「不動明王」「毘沙門天」の3種類。オリジナル御朱印帳もあります。
「守山八幡宮」

「守山八幡宮」は源氏の氏神・八幡神を祀ることから頼朝とのかかわりが伝承されている神社です。

毎年10月には五穀豊穣を願ってこちらで「三番叟(さんばそう)」が演じられるそうです。

「三番叟」というのは、平安時代から伝わるおめでたい舞の農民パートを抜き出したもの。各地のお祭りで演じられています。
舞殿の裏にさらに階段があり社殿に行くことができます。

この階段、どんどん傾斜が急になっていくので心して上がってください。

社殿につきました。階段上がるとすぐ建物があるので引きの写真が撮れません。
中の様子は小さくあいた格子の間から見られそうですが真っ暗でよくわかりませんでした。

社殿はかなり奥に広いようです。ずいぶん年季の入った建物です。
そして周辺は不気味なくらい静かです。熊とか、出てきませんように。

「信光寺」

「信光寺」は甲斐武田氏の5代当主・武田信光が、鎌倉幕府2代将軍・源頼家(頼朝の息子)の菩提を弔ったと伝わっているお寺です。

北条氏の記録によれば2代将軍になった頼家の独裁を抑えるために「13人」の合議制が敷かれたそうです。
この後頼家は、後ろ盾となった比企氏と弟の実朝(のちの3代将軍)を担ぐ北条氏との覇権争いに巻き込まれ、修禅寺に幽閉されたのち北条氏によって暗殺されてしまいます。これにより北条氏は鎌倉幕府の実権を握ることになりました。
武田信光は頼朝が挙兵した際呼応して挙兵した武将で、頼朝からの信頼が厚かったようです。修禅寺に幽閉されていた頼光を見舞った帰りに、暗殺の一報を聞き出家し菩提を弔ったと伝わっています。

本堂を少し開けてお参りをさせていただきました。素朴で美しい天井絵です。

歴史散策をする際に、観光色が薄い寺社には「御朱印ありますか?」と無理矢理突撃しないようにしています。
と言っても判断が難しいところですが、今回は大河ドラマののぼり旗が立っている寺社のみお声がけをさせてもらいました。
「眞珠院」

「眞珠院」は流罪となった頼朝の監視役をしていた伊東祐親の三女・八重姫を供養している寺院です。

八重姫は頼朝と恋仲にありました。頼朝との間に男児をもうけましたが、平家からのお咎めを恐れた伊藤祐親(八重姫パパ)が男児を殺害。八重姫は無理矢理嫁がされてしまいます。
その間に頼朝は北条氏に身を寄せ政子と結ばれるのですが、その事実を知った八重姫が「眞珠院」の前を流れる真珠ケ渕に身を投じて果てたと言い伝えられています。


狩野川台風では、死者・行方不明者が1,200名を数えました。

「八重姫御堂」

本堂の手前に「八重姫御堂」がありました。
扉を開き中を見ることができましたが、とてもきていに整備されていました。

お堂の正面右には小さな梯子がいくつも供えられていました。
八重姫の悲劇に多くの人々が心を痛めたのでしょう。

八重姫に関連するものは先ほどのお堂のみですが、敷地内を少し散策してみることにしました。
あちこちに看板や説明書きが置いてあるので大変見学がしやすかったです。
本堂の左側の歩道を進むと墓地内を歩くことができます。

歩いてすぐのところに正安4年(1302)建立の五輪塔がありました。

さらに奥に進むと岩を削って作られた阿弥陀如来磨崖仏がありました。
上半身が屋根の影になってしまっているので少し見えにくいですね。

ずいぶん高い位置に彫られています。詳細についてはわかりませんでした。
「眞珠院」の御朱印

本堂に戻るとちょうどお寺の方がいらしたのでお声がけをしたら御朱印をいただくことができました。
「守山公園西公園」

眞珠院の裏に見えるのが「守山」です。

できれば守山の山頂へ向かいたかったのですが、スニーカーはコンバースだし、飲み物も持っていないし、諦めて山のふもとを迂回することにしました。
お寺の方曰く山越えはそれほどハードルが高くないようです。
川を挟んで反対側に学校があり、近くに自販機がありました。


おもわず炭酸を買ってしまうほど10月としては暑い日でした。

出発前に入手した地図をもう一度広げて位置確認。
点線が山頂を越えるルートですが、このまま川沿い(赤い実線)を時計回りに進みます。

歩道がしっかりと整備されているので安全に歩けます。
左手に狩野川、右手には守山という風光明媚な土地で、この付近がちょうど北条氏の拠点だったそうです。

しばらく歩くと守山西駐車場に到着しました。無料で駐車できるので史跡巡りに便利です。

自販機とお手洗いもありました。



北条氏邸跡の看板が立っていました。
右側奥には守山の遊歩道の入り口が。眞珠院横の入り口とつながっています。
守山を迂回してきましたが距離から考えると遊歩道もそこまで距離はないと思われます。

舗装されているわけではないので靴はちゃんとしたものを履いてきたほうが良さそうです。


この広大な土地に北条氏の屋敷があったのでしょうか。
歴史がある建造物はもちろん好きですが城跡や史跡も大好きなので、そこになにもなくても地形や柱の跡だけでもときめけるわたしはコスパ最強ですね!

「北条の里さんぽ路」に入りました。

それにしても、来年大河ドラマだというのに誰も歩いていません(笑)
放送が開始したら一変するのでしょうか…

しばらく歩くと右側にはまたまた広大な敷地が広がっています。
説明には「伝堀越御所跡」と書かれていました。

こちらの史跡は義時の時代からはだいぶ後のものになります。
室町時代、幕府は京都にありましたが、関東では幕府の衰退とともに内乱が続いていました。
そこで8代将軍足利義政の命を受け、関東地方を支配するため京都から足利政知(足利将軍家一族の武将)が派遣されました。しかし残念なことに戦乱のため関東に入れず、伊豆に留まることを選びここに館を構えたそうです。
しかしその館も政知の死後、戦国時代の口火を切ったともいわれる北条早雲によって滅ぼされてしまい今は広大な敷地が残るのみとなってしまったとのことです。
「北条政子産湯の井戸」

「伝堀越御所跡」と道を挟んで反対側には「北条政子産湯の井戸」があります。

住宅が密集した細い道を進むと、石の井戸らしきものが現れました。


実際の井戸はかつて隣接していた北条邸にあったのではないかということです。
「成福寺」

少し離れたところにある「成福寺」へ。
大きなお寺です。ちょうど法事の最中でした。
義時の時代からは少し先の話になりますが、鎌倉幕府8代執権北条時宗の三男・正宗が北条氏一族の菩提を弔うため開創したお寺です。
夏にはきれいな蓮が咲き誇るそうです。

こちらは時宗、覚山尼(時宗の正室)、正宗のお墓です。
近くには北条一族供養塔もあります。

こちらの階段を上がったところに石碑と小さな供養塔がいくつも建っていました。
「成福寺」の御朱印

御朱印は本堂左手の建物でいただくことができました。
ご住職が書いてくださり、いただいた後にもいろいろとお話を聞かせていただきました。
「光照寺」

はじめに車を止めた駐車場まで戻ってきました。
すぐそばにある「光照寺」をお参りして徒歩での散策は終了です。

北條時政(義時パパ)が頼朝のために建てた宿館が後にお寺となったそうです。
「北條寺」

最後は「北條寺」です。少し離れたところにあるので車で向かいました。

北条義時が創建したお寺で、義時夫婦の墓もあります。
本堂参拝後、墓所へ向かいました。

墓所へは案内がたくさん設置されているので助かります。


少し開けたところに2つの塔が建っていました。北条義時夫妻の墓です。
少し小高くなっており、とても静かで心落ち着く場所でした。

「北條寺」の御朱印

本堂右にある建物で御朱印もいただきました。
お寺の方といろいろお話することもできとても有意義な時間でした。
大河ドラマの見どころ
ひと足早く2022年大河ドラマ『鎌倉殿の13人』序盤の舞台になるであろう伊豆の国市を散策しました。
大河ドラマ決定に伴い「大河ドラマ館」の設営や、史跡の整備なども動き出しているようです。これからの展望に期待大というところでしょうか。
伊豆半島は観光資源も豊富なので大河ドラマの盛り上がりに乗じて観光客の増加も楽しみですね。
大河ドラマのポイントはなんといっても作・三谷幸喜氏が描く北条義時の波乱万丈の人生。
義時は「13人」の中からどうやって頂に昇りつめるのか、必見です!
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